井関(いせき)ってこんな所
五郷の玄関口となる集落で、
江戸時代には阿波や伊予との往来を管理する番所が設けられていた。
五郷が栄えていた頃には、役場、診療所、郵便局、お店があり、
五郷銀座とも呼ばれていた。五郷地区の中心的存在であった五郷小学校があり、
2006年の閉校以来、小学校校舎は観音寺市の教育センターとして利活用されている。
大野原扇状地の要に位置しており、下流の農地を潤す井関池がある。
瀧宮神社を中心として、のどかな農村風景が広がっている。
地域みんなが、先輩・後輩です。
2月のある日、五郷活性化センター(元五郷小学校)を訪ねると、
「よいしょっ」「はい」「よいしょっ」「もういっちょ!」と威勢のいいかけ声とともに
、餅つきが行われていました。
今日は年に一度の「五郷地区文化展」。
まだまだ現役!とおじいちゃんが杵を振るえば、
おばあちゃんやお母さんたちが手早く丸めてあんこもちに。
子どもたちも“もち屋さん”よろしく、おもちを配って歩きます。
元小学校の施設を利用した館内では、切り絵や手芸品など自慢の作品が展示され、
食堂ではかっぽう着姿の女性たちがキビキビと働いています。
しかも、ここにいる人たちの大半は、み?んな元五郷小学校の卒業生。
おじいちゃんも、おばあちゃんも、お父さんも、お母さんも、みんな同じ学び舎で学んだ先輩後輩なのです。
「昔は海老済に分校があって、
始業式と理科の実験の時だけはここ(本校)まで通ってくるんや。
本校は生徒がたくさんいて賑やかだったな」と語る70代の男性。
また30代の女性も「PTAに行くと父兄同士も同級生が多いから、
運動会をやる時の団結力が違う」と懐かしそうに話します。
五郷小学校が誕生したのは明治10年。
最も多い時は全校生徒が1000人もいましたが、
生徒数の減少により平成18年、廃校となりました。
あれから5年。学校はなくなったけれど
、同窓生の絆が消えたわけではありません。
ふたたび、五郷の人たちが世代を超えて集える交流拠点となるよう、
4年前から新たに「五郷地区民の集い」も始まりました。
たくさんの笑い声が響く日を心待ちにするかのように、
今年も校門前の大きな桜が満開の花を咲かせます。
五郷活性化センター(元旧五郷小学校)
五郷コミュニティの中心拠点、
文化祭や音楽祭など地区行事もさかん。
春には、珍しい黄色い桜が楽しめる。樹齢80年を越える校門の桜。
子どもたちを見守ってきた旧五郷小学校のシンボル
井関池
江戸初期、西島八兵衛が手掛けた溜池。
井関池によって大野原は農地へと変貌した。
背後に控えるのは雲辺寺山。
瀧宮神社
鎮守の森には、
幹囲2m以上のツブラジイなど巨樹が多数。
秋祭りには、獅子舞や子ども太鼓で賑わう。
夢ハウス山里
活性化センター前にある古布や
五郷の材木を使った手づくり小物のお店。
いろんな五郷話が聞けるのも嬉しい。
JA香川豊南五郷支所
五郷唯一のスーパー。
五郷で採れた野菜等を販売。
飲み物やパンなど必要なものはここで補充しておこう。
地元の口コミ
五郷山公園のツツジや桜は見応えあり!
イシイうどんでは、郷土料理のだんご汁を食べれるよ
孫嫡子(まごちゃくし)神社は、全国でたった2つの天然痘を癒す神社
地元の口コミ他にもあるよ!
井関のお宝井関ってこんな所